日本皮膚科学会キャリア支援

受賞者インタビュー

2018年度JD賞を受賞した論文(Analysis of clinical symptoms and ABCC6 mutations in 76 Japanese patients with pseudoxanthoma elasticum, Journal of Dermatology 2017; 44: 644–650)を執筆された岩永聰先生にキャリア支援委員 中島沙恵子が研究や 論文執筆に関してお話をお伺いしました。
受賞論文はオンラインジャーナル(要ログイン)でもご確認頂けます。

岩永 聰

(いわながあきら)

長崎大学医学部卒業後、長崎大学病 院皮膚科・アレルギー科へ入局。 長崎大学大学院博士課程修了後、長崎大学 大学院 医歯薬学総合研究科 皮膚病態学分野 助教に就任。

2018 年より現職。

中島 沙恵子

(なかじまさえこ)

2003年大阪医科大学卒業後、京都大学医学部皮膚科へ入局。
2012年、京都大学大学院博士課程修了。日本学術振興会特別研究員(PD) を経て2015年より米国国立衛生研究所へ客員研究員として留学。
2017年4月に帰国後より現職、京都大学大学院医学研究科皮膚科助教。

中島: 今回受賞されたご研究について、研究を 始められたきっかけやポイントなどを含めてお話 しいただけますでしょうか。

岩永: 前教授の宇谷厚志先生が長崎大学に着任されて、PXE( 弾性線維性仮性黄色腫、seudoxanthoma elasticum)の遺伝子診断を立ち上げるということで、私の大学院の研究にもなるからいいだろう、という形でスタートしたのが、きっかけなんです。PXEの病気もよく知らないまま、言われるがままに遺伝子診断を長崎大学で立ち上げることになったのですが、研究もしたことなかったですし、全部何も無いところからの立ち上げになりました。右も左も分からず、当時長崎大学ではPXEの患者さんの症例もいなかったので、宇谷先生が京都大学から持ってこられた患者さんの血液の解析からスタートしました。最初の患者さんの結果が出るまでに半年ぐらいかかりましたね。
その後、試行錯誤しながら研究を重ねて、この論文がアクセプトされたその日に、何かおいしいお寿司でも食べに行こうか!
という話をした翌日に宇谷先生の訃報が入りました。そういう意味では、宇谷先生と共同でやったことが全部凝縮されているような論文になりますね。

中島: 岩永先生ご自身が一番苦労された点っていうのはどういう部分でしょうか?

岩永: 実験するっていうことが一番大変だったかなと思います。「やってみ」って言われてやってたら、「君、そんなことをしたらあかんで!」って言われるようなことを平気でやってました(笑)。 自分自身ミスをしている自覚がなくて、ミスに気づいて教えて下さる先生も宇谷先生だけだったので、大変でした。いま思い返してみたら本当に何 でもないミスなんですけれども(笑)。
その当時、独力でできることが多くはなかったので、いろんな領域の先生方とやりとりをしたり、 パイプ作りをしたのが、弾性線維性仮性黄色腫診療ガイドライン(2017年版)(日皮会誌:127(11), 2447-2454,2017)にも生かされていると思います。
他大学や他領域の先生方にご協力をしてもらいながら完成できた、という経緯もありますので、 この研究を通して他大学、他領域の先生方と協力し合うことの大事さを知ることが出来ました。

中島: PXEの診療ガイドラインのポイントや苦労された点について教えてください。

岩永: そうですね。PXEでは循環器の疾患とか、虚血系の心疾患とか、腸管出血などの症状が生命予後に直結しますので、そういう分野の先生たちの意見を取り入れないといけないだろうって思っていました。いろんな分野の先生たちと連携を取りながら、ガイドラインを作り上げることにずいぶん苦労しました。

中島: それは、大変でしょうね。いろんな科の先生を集めて1つの病気についてコンセンサスを得て進めると作業は大変だと思います。 結構長く時間をかけて論文を書かれていらっしゃいますが、きっと落ち込んだりされたことも たくさんあったかと思うんです。 岩永先生の気分転換の方法などあれば教えてください。

岩永: そうですねえ。こんな体型してますけど、 体を動かすのは嫌いじゃないので、論文を書いているときは、イライラするとバッティングセンターに行ってみたり、ジムに通って運動したりしていました。体を動かすことでストレス解消していましたね。 そういう意味では、論文を完成させて、あまりストレスがたまらなくなってから、体を動かしてません(笑)。

中島: 今回の論文に関連して言うと、研究って誰もが通る道じゃないと思うんです。そこで、研究をやったことがない人に、岩永先生から見た研究の魅力や、こういうところがすばらしいし面白 いと思うとかって、例えば後輩とかに言うような感じで教えていただけますか。

岩永: 結果が出せたときの達成感っていうのは スゴいと思うんですよね。自分で、ここをこうしてこうしたらこういう結果が出るんじゃないかなっていう仮説を立てて、実際に実験して、思う通りの結果が出てくれた時の。自分自身は思った通りの結果がなかなか出せなかったので、最初の患者さんのシークエンスが全部できたときの達成思っていうのは、かかった時間が長かっただけに喜びもひとしおでした。
研究で得られる達成感っていうのは、臨床では得られないものがあると思います。もちろん、臨床でなかなか治らない患者さんを治せたときの達成感っていうのもすごく大きいので、臨床をやっ ていく人たちが多いのも分かるんですが、研究を続けることで、その結果が更に多くの分野で応用されて、たくさんの病気の人を治せる可能性につながってくれたら良いなって思ってます。

中島: キャリア支援委員からはキャリア形成についての質問もきています。先生が思い描くキャ リアってありますか?いままでを含めてこれから先、どういうふうになっていきたいというような。

岩永: そうですね。いままでは、人にずっと助けてもらってやってきましたので、宇谷先生が亡くなられるまでは、自分でやらないといけないっていう意思も全くなかったんです。宇谷先生が亡 くなって初めて、自分でいろいろやっていきたい、 やっていかなきゃいけないって思うようになりました。これも全部、宇谷先生のおかげだと思っていますので、自分もそういう風に人の生き方に影響できる人間になりたいなって思っています。後輩の指導もそうですけど。

中島: 内部からの情報によりますと、病理の指導を相当厳しくされているという噂が流れてきておりますが

岩永: いま大学で指導を受けている若い先生た ちっていうのは、すごく守られている環境にあると思います。考え方が、研修医を抜けきっていないところが多いですよね。そんなに甘くないんだ よって、実際に自分で責任を取らないといけない立場になったときや、守ってくれる人がいないような環境下で働かないといけない時なんかに、とりあえず生きていくための術だけは身に付けさせてあげたいなって考えてます。

中島: うん、なるほど、すばらしいですね!

岩永: 後輩たちには言ったことないんですけど(笑)。

中島: いま明らかになる、岩永先生の心の内、 ですね(笑)今日は貴重な話をありがとうございました。

岩永: ありがとうございました。

インタビュー後記(中島 沙恵子)

一つの疾患との運命の出会いと、その疾患をめぐる研究、ガイドライン作成まで、裏話や苦労話を交えてお話しいただきました。 お話を伺っていると実験系の立ち上げを含め苦労されて論文や診療ガイドラインを完成させられたというお話でしたが、とてもニコニコと楽しそうにお話ししてくださったのが印象的でした。
今後もPXE研究を続けていきたい、とお話ししてくださった岩永先生、ますますの活躍に期待したいです。