清島真理子先生のコレ !
岐阜大学皮膚科教授
ボクはやっと認知症のことがわかった
長谷川和夫・猪熊律子 著 KADOKAWA
著者は言わずと知れた「長谷川式スケール」で有名な認知症の大家です。 2年前に嗜銀顆粒性認知症と診断され、現在90歳の先生が、認知症の自分を専門家として客観的に観察、分析して述べられています。私の年齢では人口の1.5%、10年経つと10% が認知症だそうです。実際、同窓会で集まると「物忘れ」の自慢話が始まり、皆笑いながらも不安を口にするこの頃です。 教科書的には知っていても実態はわからず不安を感じています。そもそも認知症の人が執筆できるのかという疑問と、認知症と診断された人の心の葛藤、 特に専門家である先生のメッセージはどのようなものか興味を持ったので手に取りました。認知症の定義や薬のことも書かれていますが、「認知症になってわかったこと」が本書の珠玉の部分です。病型により差はあるものの、連続した毎日の中で進行しており、日内変動や状況で症状は変動することを身をもって感じられたそうです。周囲が認知症の人の前で人格を傷つけるようなことを話されると、本人には聞こえており、馬鹿にされた嫌な感情は深く残るそうです。病状は変動するということ、役割を奪わないでほしい、軽く扱わないで欲しい、時間がかかっても話すまで待ち注意深く聴いて欲しい、笑いの大切さなど、本当に自らがその立場(認知症)にならないと気づかない心の叫びが綴られています。「その人らしさを尊重し、その人の立場に立ったケア」は、世界が注目する高齢化社会、日本における周囲や社会の寛容さを反映する重要な点だと思います。
これに対して私自身の日常を振り返ってみると認知症の人は何を考えているのかわからないし、話や行動に時間がかかるので、無愛想につい自分の意図する方向に誘導してしまっていました。声をもっと聴くべきであったと反省した次第です。私の周囲にも認知症の人は増えており、また今後確実に増えていきます。どう対処すべきか困っていましたが、その人の立場に立ってさりげなく支援の手を差し伸べる、役割をなるべくお願いし、上手くできたら讃えるというのが私のできることかなと思っています。
第7章で日本人に伝えたい遺言として、心に残る言葉が書かれています。今心がけている点は「明日やれることは今日手をつける」ということだそうです。前向きな著者らしい言葉で、「明日まで延ばせることは今日やらない」という怠惰な私にはまねのできない、崇高なものです。若い頃はフィクション小説を好んで読みましたが、最近はこのようなノンフィクションをじっくり読むようになりました。本書の著者は医師としての姿勢もすばらしく、また人間味に溢れ、優しい書きぶりで心に温もりを感じる一冊でした。