日本皮膚科学会キャリア支援

秀 道広先生

秀 道広先生のコレ !

日本皮膚科学会副理事長
広島大学大学院医系科学 研究科皮膚科学 教授

漆の実のみのる国 (上・下)

漆の実のみのる国 (上・下)

著:藤沢周平 文春文庫

時は宝暦から天明、明治まで未だ100年を残す江戸中期、今は山形県と なった米澤藩藩主上杉家は、会津120万石からその8分の1の石高の米澤に 封じられながら、会津藩時代の家臣を抱え続けます。それでも質素倹約と 重税により支えていた藩運営は、度重なる不作、凶作と凡庸な藩政のもと、貧乏のどん底に追い込まれます。度重なる不運と困窮に幕府への領地 返還の動きも現れますが、米澤藩江戸家老の竹たけの俣また 当まさ綱つな 、侍医かつ儒者の藁わら 科しな松しょう柏はくを中心とする改革派は、若き世子、直丸(後の上杉鷹山)に将来の可能性を見いだし、過酷とも言える質素倹約を進め、横暴な権力者森平右 衛門の誅殺に成功します。また、藩の命運をかけて富豪商人から資金を調 達し、当時商品価値の高かった蝋を取るための漆栽培に乗り出します。
しかし、栽培を始めてから蝋が取れる実が稔るまでには10年を要し、その間、西国では大いに精蝋の技術革新が進んで櫨から取れる良質で安い白蝋の生産が進みます。竹俣らの目論見は崩れ、米澤藩のさらに過酷な貧乏と荒廃が進みます。
今日、米澤藩の上杉鷹山による藩政改革は広く知られていますが、この物語は、その改革前のあまりに過酷な藩の実情と、その中でもがく人々を描いています。物語を読んでいると、もはやこの地には人が住むことも叶わないのではないかという気になりますが、史実は、米澤、山形は苦労を重ねながら、消滅することなく近代日本へと続き、明治以降のわが国の発展を支えています。
ではなぜ米澤藩は破綻することなく近代を迎えることができたのか、当時、米澤藩はどうすれば良かったのか、私は読後ことある毎にこの物語が頭に浮かび、今の私達の進むべき方向と重ね合わせて考えさせられます。
財政健全化のためには質素倹約は大切ですが、過度な倹約は将来の発展のための力をも削ぎ、悪を倒すだけで未来への殖産興業は成りません。
現場で疲弊する仲間達や資金不足を前に、現状の分析や誰かを悪者にすることは、自己の満足を与えることはあっても皆を幸せにすることとは異なります。今の時代は明らかに江戸中期とは異なり、我々医師の役割は藩の家老達のそれとは異なりますが、様々な立場で多くの人のことを考える役割を託されている点では共通性があると思います。
この物語は、藤沢周平が死の床で脱稿します。できることならもっと続きを読みたかったと思う最後ですが、自分ならばどうしていたと考えるか、皆さんと議論してみたい一冊です。