西部支部
2019.9.7(土) 16:10~18:10
皮膚科医として 私の第二ステージ
三苫千景(愛皮膚科クリニック 福岡市)

帰国後の私には皮膚科診療、油症班業務、「西日本皮膚科」編集業務を行う忙しい日々が戻りました。帰宅後も家事の合間に度々メールをチェックし、持ち帰り仕事をし、帰国後2年間は子供の学校行事にほとんど参加できませんでした。高学年になった娘は家できりきりしている母に反発するようになり、これではいかんと主だった行事には有給休暇を取って参加し、週末には子供の友人を家に呼び、子供とのコミュニケーションを取り戻しました。 今年の4月からクリニックに勤務しています。成長した子供たちの環境が大きく変わる前に自分の職を安定させたいという気持ちが転職を後押ししました。出産後も皮膚科医を続けてこれたのは "皮膚科" が好きだからだと思います。短気な私を支えてくれた家族、節目で相談に乗ってくれた同期にこの場を借りて感謝します。
西部支部
2019.9.7(土) 16:10~18:10
自分で考え自分で決める
吉岡はるな(産業医科大学皮膚科)

卒後すぐに皮膚科学会に入会、初期臨床研修も皮膚科研修が充実した病院を選びました。研修医が終わる頃には何でもできるような「無敵感」を感じていましたが、この無敵感は大学に戻ってすぐに打ち砕かれることになります。見たことも聞いたこともない疾患、治療困難な症例、専門用語も分からない、病理がよめない、宇宙語が飛び交うカンファレンス。先輩医師達も通ってきた道であるが故に、若者が大変であることはある意味当たり前といった雰囲気。あの無敵感はどこへいってしまったのか。「できない自分」と向き合うのはとても辛いことでしたが、この頃は「できなくても許される」時期でもあったと、今になって思います。だからこそ何にでもチャレンジすることができたし、大きな学会や海外の学会を経験し、英語論文を書くことができたのは大きな励みになりました。
その後、同じ皮膚科の医局員である夫と職場内結婚し、 皮膚科専門医を取得した後に産休・育休に入りました。 お互い実家が遠方であり、ジジババの協力は得られませんので、復帰後に私が当直でいなくても夫ひとりで一通りの家事・育児はできるよう教育(?)しました。その際、「手は出さないが口も出さない」を徹底し、今でも夫婦二人三脚でゆるく家事・育児をしています。

現在卒後13年目になり、大学では皮膚腫瘍・皮膚外科をメインに診療を行っています。若手という時代は過ぎましたが、ベテランという立場でもなく、まだまだ自己研鑽に努めなければなりません。なりたくてなった医師という職業、自分が目指すものは何か。しっかりと根拠をもって診断し、複数の治療方針を立て、個々の患者さんにとっての最善を提供するように努めること。困難な状況に対峙した時、正解がないことを恐れないこと。自分で考えて判断し、その判断に責任 を持つこと。自分で考え、自分で決める。これができるようになったら、苦しい時や大変な時でも自分を助ける力になるのではないかと思っています。
メンティーからの声
熊本大学坂元亮子
